礼拝、礼拝司会

礼拝、礼拝司会

「知って驚いたミサの語源①~閉会の言葉だったの?」

 恥ずかしながら、最近、キリスト教辞典を読んでいて、初めて知ったのが「ミサ」の語源。ラテン語による礼拝では、最後に司祭が「イテ・ミサ・エスト(行きなさい、派遣、解散です)」と礼拝の終了を告げます。これは閉会に際しての「派遣の祝福」とのこと。
 辞典によれば、この「派遣」「解散」を意味する「ミサ」という言葉が、既に6世紀には、聖餐式全体を指す言葉になったのだとか。日本のカトリック教会では、司祭が「行きましょう。主の平和のうちに。」と語り、会衆が「神に感謝」と応答して、ミサが終了するそうです。
 つまり、「派遣」「解散」「散らされ遣わせていくこと」「教会から世へ」が、礼拝全体を意味する言葉になったわけです。これは意外で驚きました。私は「ミサ」という言葉は、語源も聖体拝領や礼拝にあると勝手に思っていたからです。
 最後の派遣の祈りの言葉が「ミサ」の語源。「ミサ」という言葉自体が、「外向き」で「宣教的」で「社会的方向性」を持っていると思うと、自らが問われる思いがしたのです。
 そして、考えたのです。「私たちが主日にささげている礼拝はどうだろう?」「礼拝者の意識はどうだろう?と。」そのことは、明日以降に記してみます。