コロナ関連投稿集

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5月28日「緊急事態下を生きる神の民㉓ ~コロナが加速化させる次世代獲得と喪失の二極化」

〈過去への姿勢が未来を決める〉 
 今回は、コロナによって、次世代を獲得する教会と次世代を喪失する教会の二極化が加速化するとの予想を記してみます。そして、それは、「オンライン礼拝の方が楽ちん」「教会行かなくても礼拝できるだから」と、集っていた青年層が教会に来なくなるといったレベルとは、別次元の根本的な問題提起。

 ㉑では、教会が陥りやすい前例踏襲主義の問題を、㉒では、ありがちな過去執着体質の問題を扱いました。この二つは記してきた通り、「未来」を失わせます。かつて、ドイツ首相であったヴァイツゼッカー氏は「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と明言を残していますが、それは国家の歴史だけでないでしょう。また、盲目となるのは「現在に対してだけ」ではなく「未来に対しても同様」でしょう。

〈過去に対する姿勢と次世代に対する姿勢〉
 キリスト教界も同様で、過去の歩みを正しく評価することなく、美化ばかりをしているなら、過去を未来に活かすことができません。さらには、過去に対する過剰評価を共有してくれない次世代を「理解不能」「わかっていない」「一致できない」などと判断します。その結果、未来を担うであろう世代に対して盲目となり、自分たちと異なるという理由だけで、愛し、理解し、育てようとしなくなります。

 「前例踏襲」に歩み、「過去の成功体験の再現」を追求するなら、今を生き、未来に神様の働きを期待する人々との間に乖離が生じるのは当然。それは単なる世代間ギャップでは済まされない深刻なギャップ。教会でもし、ベテランの意向と発言ばかりが尊重され、新米クリスチャンや次世代の声が反映されないならどうなるでしょう?

 その教会は「次世代を犠牲にしながら、前例踏襲に歩む教会」や「次世代を失ってもなお過去に執着し続ける教会」となります。未来を「生贄」にしながら、結実を失った過去を未来にまで継続してしていくのです。次世代が持つ可能性を潰しながら、過去の成功体験の再現という共同幻想に歩むのです。既にそうなっていて自覚のない教会は、ポストコロナにおいては、加速度的に衰退し、2030年以降に閉鎖あるいは事実上の活動停止となる可能性が高いと予想しています。

〈問われるのは、次世代の愛〉
 若者宣教に従事する働き人からお聞きしたお話です。学校の通学路に面しながら、少子高齢化してしまった教会の高齢女性たちが、その働き人に、このような内容を語ったそうです。

「教会の前を毎日、たくさんの若い人が通っているに、誰一人教会に来てくれない。どうしてだろうねー。若い人に来て欲しいんだけど。」

 その働き人はこう答えたそうです。「若い人たちの教会に来て欲しいのは、なぜですか?若い人に救われて祝福された人生を送って欲しいからですか?それとも、自分たちが守ってきた教会を続けて欲しいからですか?」

 つまり、動機を問うたのです。「愛か?欲か?」を問いかけたのです。若者に来て欲しいと願う動機は、「滅びゆく魂への愛」なのか?それとも「教会組織存続を願う欲」からか?が問われたのです。毎朝教会の前を通る若者を「愛の対象」としているのか?それとも、「欲望の手段」としているのか?が突き付けられたのです。

〈次世代獲得・喪失の二極化〉
 前例踏襲主義で過去執着体質の教会が、次世代を失うのは当然です。なぜなら、愛しているのは自分たちのしてきたことであり、次世代ではないからです。そうした教会に次世代が失望し、離れていくのは必然であり、そのことは、コロナを機に、加速度的に進行していくことでしょう。

前例踏襲主義と過去執着体質は、
次世代への愛を失わせます。

ビフォアコロナの復元のみを目標とする教会は、
確実に次世代を失います。

教会には愛と未来があると信じてきたのに、
違うと判断すれば次世代は、留まることが苦痛となります。

教会が神にある未来を目指す信仰共同体ではなく、
伝統文化保存会と分かれば、若者は失望します。

自分が先輩方から愛されているのではなく、
教会存続のために利用されているなら離れたくもなります。

先輩たちが自分を真の意味で活かしてくれるず、
自分を犠牲にして過去に執着するなら、去りたくもなります。

果たして、去り行く次世代を留める正当性が、
留める側にはあるのでしょうか?

 
〈コロナが加速化させる教界再編〉
 一方、ポストコロナに向かう教会は、次世代を愛し、理解し、育てる教会となるでしょう。教会が二極化する中で、若い世代はいずれかを判別し、集い、そこで成長し、教会を建て上げていくと予想されます。

 今後、前例踏襲主義で過去執着体質の教会から、ポストコロナ対応教会への移動は、増加し、いよいよ止めることはできなくなるでしょう。それは信徒だけではなく、教職も同様。既に起こっている未来志向の教会や団体への若手教職の移動は、加速化するのは間違いありません。ポストコロナへの対応姿勢を持たない教会や団体からは、将来有望な若手教職が流出し続けるでしょう。

 その結果、ポストコロナにおいては、「政界再編」ならぬ「教界再編」が起こると予想しています。とりわけ都市部においては、ポストコロナ対応の既成教会と未来志向の開拓教会が、目に見える教勢面でも伸びていくことでしょう。これまでも予想されていた教会の二極化は、コロナによって、さらに加速度的に進み、より両者の違いはより明確になると私は予想しています。

〈まとめ〉 
「カナンへと向かう教会は次世代を獲得し、エジプトに戻ろうとする教会は、次世代を失う。」

 以上の分析や予想が正しいかどうかは、読者の皆さん様のご判断にお委ねするしかありません。しかし、せめて、拙い論考を参考意見や判断材料として、受け止めていただき、ポストコロナにおける教会の将来を検討していく一助としていただければ感謝なことです。