コロナ関連投稿集

コロナ関連投稿集

4月18日「緊急事態下を生きる神の民⑪~長編論考・牧師崩壊を防げ!」

〈高ストレス下にある牧師〉
 クリスチャンカウンセラーの藤掛明先生によれば、日本で2番目にストレスの高い職業は、キリスト教の牧師とのこと。ちなみに第一位は皇室の方々だそうです。牧師は、専門職でありながら、究極の総合職でもあり、経験不足でも一人で厳しい現場に送られることなど、他の職業にはない特殊性があります。

 極度のストレスの高さは、様々な破たんや逸脱行動に現れます。藤掛先生の見解によれば、その現われは、日本の皇族では精神疾患で英国では異性問題であり、牧師も同様とのこと。つまり、牧師の精神疾患や異性問題の一因は、対処できないほどの過大なストレスにあるわけです。私もその通りの実例を数多く見聞きしてきました。

 もし、コロナ問題が長期化し、教会に集えない状況があと半年から一年続いたとしたら、日本の牧師たちは、どうなるでしょう?私の予想は、1割以上が休職か離職、あるいは実質上の機能停止。

〈予想される破綻〉
 今でさえ、多くの牧師が、やむを得ない兼牧、夫婦で別教会を牧会、精神疾患を抱えながらの働き、一般の職業に従事しながらの牧会をしています。既に疲弊状態や限界状態にある牧師も少なくありません。ここに、さらにストレスや負担が加わるなら、限界を超えてしまい、その結果、働きからの離脱は免れないでしょう。

 通常の礼拝ができないという「対象消失」から来るストレスがあります。未経験の状況に対処適応するためのストレスもあるでしょう。あるいは、危機対応についての役員・信徒との対立、意見調整のストレスが起こっています。教会の将来が不透明であることから来るストレス、献金減による生活不安からのストレス。家庭では、夫婦で過ごす時間が増えたこと、子どもが常にいることがストレスになる場合も。

 さらに、真面目な牧師は、「責任範囲」を超えて、自分を責めてストレスを増大させます。自らの危機対処能力のなさを責め、脱出の道を確信できない自らの不信仰を責め、信徒の期待に応じられない自らを責め、批判攻撃を強める信徒を愛せない自分を責めるなどです。神様が求めていない責任範囲までカバーしようとして、信徒の自己中心で過剰な期待にまで応答しようとして、「みこころでない自罰傾向」に陥ります。こうなると本来すべきセルフケアとは正反対。

 
〈交わりについて〉
 ストレス解消の特効薬は暖かな交わりです。ところが、コロナ・ウイルスは、暖かな人格的交わりを分断します。震災など自然災害の場合は、教会内部では、顔を合わせ、手を携えて復興を目指すことができます。地域の連帯もあれば、外部から駆け付けるボランティアの支援もあります。その目に見える身体的なつながりは、牧師を励まし、力づけます。

 しかし、コロナは、その恵みを断ち切ります。コロナは連帯分断的という意味で、悪魔的です。一人一人が自粛するという孤独の戦いを強いられます。教会や地域など、ワンチームとしての団体競技のはずが、まるで個人競技のようです。内部での一致、地域での連帯、外部からの支援が見えず、孤独が解消されず、続きます。震災よりもコロナとの戦いの方が牧師にとってストレスフルになるとしたら、その理由はここにあるでしょう。

 もちろん、SNSはそれを補いますが、限界もあります。孤独を癒し、人を回復させるのは、心を通じ合わせる感情交流、人格的な交わりです。感情交流よりも情報交流に、人格的な交わりよりも、機能的な連絡になりがちなSNSにはどうしても限界があります。直接顔を合わせる交わりを奪われることは、孤独の解消という面では、かなり厳しい要素と言えるえしょう。

 
〈来年4月時点での予想〉
 もし、問題が長期化すれば、継続的なストレスと孤独を強いられる牧師たちは、来年の4月時点でどうなっているでしょう。

 燃えつき症候群、
肉体上の健康面での破綻、
鬱病などのメンタル面での破綻、
牧師家庭の経済的破綻
牧師夫妻の結婚関係の破たん
異性金銭問題等の逸脱行為

 これらの理由によって、感染が深刻な地域では、かなりの数の牧師が離職、休職に追い込まれると私は予想しています。
 今、ネット上で発信をし、コメントを記入しているのは、ある程度、危機に対応できている牧師たちが多いようにお見受けします。その陰で、既に多くの牧師が対処に疲弊し、限界を超えるストレスにさらされ続け、従来にない孤独に投げ込まれていることを想像します。

 無会衆礼拝が強いらる中、最も孤独感によってダメージを受けるのは、この状況に適応できず、無会衆礼拝という現実が受け入れらない牧師でしょう。

 
〈牧師は続けられるのか?問題〉
 当面は、「礼拝をどうするか?」が問題とされるでしょう。しかし、長期化するなら、多くの教会で「牧師は続けられるのか?」が潜在的な問題となっていきます。潜在的であることは、問題解決を困難にします。重大な問題が表面化せず、問題として意識されないからです。

 信徒たちが「牧師は大丈夫」と楽観視している中で、牧師は限界を超えて、破たんに向かい、4月になってみれば、「牧師不在」となるケースがあちらこちらで起こることでしょう。

 賛美奉仕者やキャンプ場は働きの継続が危ぶまれています。出版、放送関係もかなり危機的な状況にあるようです。そのことは既に、ネット上や支援者へのレターで伝えられています。しかし、多くの牧師はそうではありません。

 危機的でも、限界を超えていても、牧師はそのことを信徒に伝えようとしません。夫婦のどちらかが、鬱病になっていても、信徒には公にしないケースもは少なくありません。牧師たちは、献身的な故でしょうか。信徒には理解不能とお考えなのでしょうか。過剰なまでに自己犠牲的で、自分の必要より、信徒の必要を優先しがちです。

 
〈牧師と信徒の皆様へ〉
 僭越ながら、牧師や牧師夫人の皆様には、セルフケアをお勧めします。信徒が大変な中、自らをケアすることに間違った罪悪感を抱かないでください。間違っても自罰的に自らを責めて、追い詰めないでください。松田牧人牧師の言葉をお借りすれば、「神にささげたものとして自らを大切に」なさってください。

 また、教会の状況によるのでしょうが、自らの危機や破たんを少なくとも、信頼できる役員に伝えて、支えてもらうことをご検討いただけないでしょうか。

 僭越ながら、信徒の皆様にもお願いです。直接顔を合わすこともない牧師と家族を愛し、毎日、祈っていただけないでしょうか?ご自身が集う教会の牧師は、来年度、働き続けられるのでしょうか?愛によって想像力を働かせ、牧師の状況や心情を思いはかり、物心両面で、支えることもご検討ください。

 これまで牧師にダメ出しを連発し、批判をされてきた信徒の皆様におかれましては、この危機的状況下にあっては、お控えいただくように願います。それは、「とどめを刺すこと」になりかねませんから。来年度4月からの無牧状態を招きかねませんから。

 
〈医療崩壊と牧師崩壊〉
 専門職である医療の崩壊は、国家的惨事をもたらすと危惧をされています。同じく、専門職である牧師の崩壊が、日本のキリスト教会に惨事をもたらすことを私は危惧しています。ただでさえ、牧師不足なのに、たった一年で、さらに1割以上が離職、休職、機能停止になるとしたら、どうなるのでしょう?

 「信仰があるから大丈夫」と私は楽観しません。「信仰があるからこそ、今、向き合うべき問題」であり、「向き合わないことこそ不信仰」なのでは?「信仰を名目とした問題逃避」をやめて、「信仰をもって向き合うこと」にこそ、希望があるのはないでしょうか?

 新型コロナ・ウイルスは、教会の交わりを分断し、牧師生命を奪いかねない見えざる敵です。信徒の方々ご自身も大変な中、牧師である私がお願いするのは、恐縮なのですが、所属教会の牧師たちを「牧師崩壊」の危機から守っていただきたいのです。

 そんな思いで長々と記しました。拙い論考ですが、諸教会にお役に立てばうれしく思います。