コロナ関連投稿集

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2月27日「公衆衛生は隣人愛の具現化なのでは?」

 新型コロナの影響はキリスト教会でも甚大。多くの集会やコンサートが中止や延期。個人的にも、分科会講師を予定していたKGK東海の春期学校は中止、主催者側としては、いのちの性のセミナー・名古屋の延期を決定。3月は礼拝以外の奉仕はすべてキャンセルになる見込み。韓国のカトリック教会がすべてのミサを中止したと知り、事態の深刻さを覚えて、隣国のための祈りに導かれています。
 
 そんな中、今朝ふたつのことがありました。一つは、所属教会からのメールがあり、本日の祈祷会中止の連絡。次の主日の礼拝後の総会、聖餐式、昼食などについても、連絡があるかもしれません。さらに、全国規模で考えると、3月に教団総会を持つ団体も多く、責任者はさぞかし大変だろうと想像しています。
  
 もう一つは、チャプレンと理事を務めるゴスペルクワイヤーの代表からも、相談のお電話が。先二週間のリハーサルをとりあえず中止としてはとの見解をお伝えしました。
 政府要請や世間的横並びでの自粛ではなく、「歌っている内容を具現化する意味」でも、中止を支持しました。
  
 旧約聖書には今日の「公衆衛生法」に相当する記述が市民律法として各所に記されています。それは他の古代の法律のように、現実生活の必要から生み出されただけではなく、神がご自身の民を愛するがゆえに、また、その民が隣人を愛するようにと与えられたのだと私は受け止めています。
 
 つまり、聖書が記す公衆衛生法の前提にあるのは、「神から民への愛」であり、その根底にあるスピリットは「隣人を愛すること」だと理解しています。聖書的公衆衛生は、単に、「共同体の存続のための法律」ではなく、「隣人愛の具現化」だと考えるわけです。ですから、旧約聖書が示す「律法の精神」を、「現代の特定の状況下において、どういう形で、具現化すべき」が、判断の指針だと思うわけです。
 
 その意味で、神の愛を賛美し、隣人を愛し支え合うことを歌うゴスペルクワイヤーは、現在の状況下にあって、「歌っている内容をどう具現化をするか」が問われているように感じます。大切なのは、「歌詞内容にふさわしい判断」です。
 
 それは、決して一律にリハやイベントを中止延期することではありません。神様は結論より、愛に立って考えるプロセスをご覧になっておられることでしょう。また、中止・実施、どちらの決断をしても責任者は、批判を受けるものです。責任者を愛し、想像力を働かせ、その立場に立って、考えて、リーダーに対しての自分の言動を決めることも、隣人愛でしょう。
  
 キリスト教会においても、同様。というよりさらに、そうであるはず。聖書の指針に立ち、告白している信仰にふさわしく「隣人愛を特定の状況下でどう具現化するか」を考えることかと思います。現状にあっては、「マスク」「手洗い」「消毒」が、まさに「隣人を愛すること」であり、また、ケースによっては、中止、延期などが、隣人愛の具現化なのでしょう。
  
 近年は「信仰があれば、感染しない」という昭和の「信仰根性主義」や「神様を第一にすれば、責任は神様が取ってくださる」との「信仰による自己責任放棄」は、あまり聞かなくなってきました。また、「感染症の大流行は神の裁き」「黙示録の預言の成就」なども、以前に比べれば、激減。
 
 これは信仰が委縮したのではなく、成熟したのだろうと思います。「個人と神の主観的関係性限定仕様の信仰」から、「信仰共同体としての歩み」「キリスト者の社会的責任を視野に入れた歩み」へと成熟したように感じています。数々の自然災害を通じて、学習し、「災い」についての見解も聖書的に成熟してきたのではないでしょうか。
  
 新型コロナウイルスの影響下で、個人的に経験したこと、考えたことを記しました。何かの参考になれば、感謝なことです。