信仰生活

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「あるがマニアの時代②~神様との関係において」 ㅤ

自己肯定感の獲得も、自己価値の実感も
時に困難な現代社会と現代家庭
あるがマニアの出現はある意味で必然
福音理解の入り口が「あるがまま」なのも必然
でも、入り口、入っただけでは、ヤバい
あるがまま愛される愛が愛のすべてはヤバい
それが、福音のすべてとされるのはもっとヤバい
その福音理解が教会に影響を与えるとさらにヤバい
聖書は「愛されなさい」とは命じていません
聖書は「愛しなさい」と命じていますよね
そんな指導者、先輩からの正論にも
「ずっと、愛されるだけがいい」との返答
神様が愛の故に願うのは
キリストに似ること、信仰の成熟、自己変革、聖化
あるがままで愛された者が、あるがままではなくなること
それこそが、聖書が示す「あるがままの神様」
一方、あるがマニアが願うのは
自己温存、現状肯定、成長免除の快適さ
そして、成長、自己変革の招きの拒否権
このことが意味することは何だろう?
皮肉にも、自分をあるがままで愛してくださる
その神様を、あるがままで愛そうとしていないこと
あるがままの一方通行、あるがままの自己利用
計り知れない豊かな愛への応答拒否
あるがマニアの問題点は、
自分をあるがままで愛してくださる
その神様をあるがままで愛さないこと
そのあるがままの愛に応答しようとしないこと
神にあるがままで神様に愛されながら、
その神様を自分に都合よく誤解していること
聖書と異なる「あるがまま愛してくれるだけの神」に
神様のご人格を限定し、その神様と共に歩んでいること
これは、「仮想・あるがまま教の神」
自分の快適さに沿って自らが刻んだ神
自己都合で、神の多様な属性を削り取った神
それは、もしかすると、「ほぼ偶像」なのかも
もし、そうなのであれば、
あるがマニアの問題はかなり深刻
福音理解や牧会がそれに影響されるなら
さらに深刻なのかも、その自覚が必要なのかも
福音理解やクリスチャンのメンタリティーが
その時代、社会、文化の影響下にあるのは必然
しかし、福音の根幹部分を歪め、否定するなら
それは、本来あってはならない福音からの逸脱
「あるがままで愛されている」は聖書の語り掛け
現代人には有効な宣教の切り口、福音理解の入り口
しかし、大切なのは、その切り口と入口の先のこと
聖書が示す福音のほとんども、その先のこと
まずは、第二テモテ4:2~4の指針に歩んでは?
忍耐の限りを尽くし、絶えず教え、責め、戒め、勧めたい
真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代にあって
「仮想・あるがまま教の神」は「現代の作り話」だろうから
 
 
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